呼吸するにも意味を

本当にやることがないので日記第四弾です。

 

今日はなんだかんだ講義出たけどやっぱりやる気は出ませんでした。

なんだかんだ人と出会ってしまいました。

やはり家が一番いいです。

 

今日のテーマは「大学生」です。

 

僕自身、大学生ですが大学生のことが滅茶苦茶嫌いです。

椎茸よりも嫌いです。

 

というのは何故でしょうか。

ムカつくから。

で終わらしてはただの感情論で片付けられそうなのでダラダラと書きます。

 

その中でも特に嫌いな二大大学生を紹介します。

一つ目は、「根拠のない浮足立った自信を持つ大学デビュー」です。

 

僕の大学は地方駅弁ということもあり全国各地のセンター試験に敗北したレジェンド達がこぞって集まります。

 

そうなると、高校生活で自分が思うようなキャラを描けなかった陰キャラまたはキョロ充は周りに過去の自分を知る人間がいないのをいいことに身の丈に合わないキャラ設定で人と関わりコミュニティー内でアイデンティティーを確立させようとしてきます。

 

そういう人間は範囲の決まった閉じたコミュニティー内だと弾圧・排斥されるわけですが、大学のような自分で付き合う範囲・人間を選択できる場だと自分を受け入れてくれる同じタイプの集まるコミュニティーを総当たりで探していけば良いわけですのでよほどのことがない限りどこかしらに所属することはできます。

拒絶されないのをいいことに一人で空回りしたり、女慣れしてないのによくわからないいじりをして微妙な空気を作ったりなどの問題行為します。にもかかわらず、自分は上手くやっていけてるという確信を抱き、それが自信となり、結果として中身のない自称ウェイが量産されてしまうわけです。

自称ウェイはいわば脳が冷静になれていないので行動に制限がつかず、いわゆるDQN行為などを行い全然面白くないのに自分が面白いと勘違いし、それを吹聴する産業廃棄物です。

 

 

次に「流行に乗っているだけなのに個性があると勘違いしてるアホ」です。

量産型大学生という言葉をあちこちで聞きますがまさにこれです。

ファッションにおいてもWEGOやアーバンリサーチなんかで服を買いニューバランスを履き、聴いている音楽もフェスに行けば確実に出てるような、大学生として生きていれば誰かから教えてもらうようなバンドの曲であり、SNSで誰かがやってるような面白行為を模倣して内輪で楽しんでる。ようするにマニュアル人間なわけです。

別にマニュアル人間であることに批判はしません。コスパ良く生活を充実させるためにはマニュアルに従うべきですから。

でも、ここで腹が立つのが自分を特別な何かだと勘違いしていることです。

はっきりいってどんな大学にも最低でも1割はいるであろうキャラなのに自分のことを正しく評価せず思いあがっています。これを許すことはできない。

 

 

まああとは、コミュニティーに拒絶された同士で身を寄せ合い互いに肯定をすることで内部的な需要と供給を満たすオタク、意識の高さだけが暴走するものの具体的な行動はしない口だけの意識高い系なんかも嫌いだけどこれらは別に大学生じゃなくてもいる気がするのでまあスルー。

 

感情論だと思われないようにするためにって書いたんですが、自分の苛立ちを動力に書いた文が感情論にならないわけがなかったなって書いてから思いました。

 

でも最終的に行き着く嫌いなタイプの大学生は自分みたいなタイプの根暗クズなんですよね。同族嫌悪でしょうか。

 

大学生に関しては以上です。

 

買ったお酒が思ったよりも不味くてリピートはないなって思いました。

新しいたばこの銘柄攻めると面白いなって思いました。

目先に何かしらの予定があると息苦しくて辛いなぁって思いました。

ハチゲキの「バーティカルJ.M.ヤーヤーヤーヤード」ってあるけどこの世で一番語呂良いなって思いました。

 

これを書いてるときregaのMillion聴いてて、やっぱ名盤だなーって思ってました。

以上です。

ひとりひとり消えてく街

短時間に何個書くねん といった感じですが寝れないし酒も回ってきたのでダラダラと書きます。

 
 
昨今の技術革新で最も飛躍的だと思うものの一つって何だと思います?
色々あると思うけど僕はゲームを挙げたいところです。
 
というわけで今回はゲームの話です。
 
ゲームの進歩ってのは凄いですよね。
テレビテニスが生まれてからたかだか40年ほどで点と棒を操作してホッケーするようなものがリアルと見紛うほどのグラフィックで人や景色が写し出されるものに進化してるって信じがたいです。
 
 
僕は田舎モノだったこともあり、ゲーム少年だったのでとりわけゲームには多大なる愛情を持っています。
 
ゲームボーイに始まり、FC、SFC、64、PS1、アドバンス、GCPS2PSPwiiPS3とゲームハードに触れてきました。
親がゲームに対して寛大でなかったのでほとんど友人宅でのプレイでしたがやったゲームはそれなりに多い気もします。
 
子供の頃の思い出を振り返るとそれなりの範囲をゲームが占めています。
初めてキンハ2した時はグラフィックの高さに感動したし、パラッパラッパーした時は三面のボタン反応やけに鈍いなと思いつつ曲のカッコよさに心惹かれたし、ポケモンしたときは皆で交換・対戦をしながらお気に入りのキャラを育成するのが楽しかったし、64スマブラでいつも一方的に負けてたし、ナルト激忍2でハメ技使って喧嘩になったし、ロックマンエグゼを通して今でも遊ぶくらい仲のいい友達もできたし、マリオカートWダッシュでは足でコントローラー引っこ抜く技で楽しみあったし、サンシャインのアスレチック面をみんなで交代でプレイしあったし、友達と考えをぶつけ合いながらゼルダの謎解きをしたし、放課後に友達宅に集合して皆でモンハンをしたり、BO2にハマり週末友人宅で四人対戦を徹夜で繰り返したりなど、少し思い出すだけでもめちゃ出てきます。
 
 
いやまあこれは別にどうでもいいんですが。
 
僕が問題にしたいのは、「ゲームのネガキャンによるデメリット」と 「スマホゲーの発達」と「ネットの発達によるゲームの単純効率化」です。
 
まず「ゲームのネガキャンによるデメリット」ですが、
ゲームのスレとかレビューとか見るとあの手この手でゲームを扱き下ろして駄作認定させたがっている場面をほぼ100%見ます。
まあ何にでもアンチはいるわけだから自分が気にしなければいいでしょ。っていうわけではないと思うんです。
世の中には様々な人間がいるわけで、その中には当然情報に流される人間が多数いるわけです。そういった人々は批判レビューをまともに受け、エアプレイにも関わらずゲームを酷評し駄作だというレッテルを貼り、クソゲーだから買わねぇし買ってるやつは情弱だと喚きます。
この被害の最たる例はジョジョASBかな、って思ってます。確かにパッチ修正以前のあのゲームは完成品とすら言えないような不出来なものでした。
しかし、パッチが当てられて最新版になってからは普通に遊べる代物に変わっており、クソゲーオブザイヤーにノミネートされない程度の出来にはなっていました。
批判の的になっていたDLCキャラが購入式であるみたいなものも格ゲーならわりと普通なことだと思うんだよなぁ。
しかし、批判は広まるもののゲームバランスの改善などのいい報告は大抵されずASBの名前を出すだけで反射的にクソゲーでしょ?って言われたこと結構ありました。
結果としてゲームが投げ売りされたり続編が中止になったり鳴かず飛ばずで終わる等の事態が事実に基づいていない情報の流布により引き起こされるわけです。
ゲームの衰退阻止を考えると良ゲーを正しく評価し合って伝えあえるといいんですが、うーん、それは難しいですよね。
 
 
次に「スマホゲーの発達」です。
先に言っとくと僕はスマホゲー好きじゃないです。
金と運で殴り合ってる感じが否めないしゲームというよりは作業って感じでなんだかなぁって思うんですよね。まぁ軽くしかやったことないんで、のめり込んでみたら見えるものもあるのかな。とも思うわけですが。
んで、ここでしたいのはスマホゲーが家庭用ゲームにとって代わったためゲームは衰退の一途をたどっているとかいうディスではなくむしろ称賛です。
あらゆるゲーム会社がグラフィックの向上、ゲーム性の独創性を追求し利益を出そうとしている中で、あえてゲームの簡略化、手軽さに重きを置いて客を勝ち取ったというのは面白いことだと感じました。
射幸心を刺激して顧客の一人一人から際限なくむしり取る様は嫌いですがその商才は認めなければならないものです。
スマホゲーと家庭版は別腹というところまで家庭版が魅力的で光る新しいなにかを見つけることが出来たら面白いなぁと思いつつ互いの発展を見ています。
 
 
 
最後に、「ネットの発達によるゲームの単純効率化」です。
これが最近僕のゲーム熱を奪う原因となっていて困っているものです。
最近はゲームウィキも発達し、あらゆるゲームの攻略が載っています。
しかし、調べようと思えば直ぐに直面している難関の解決策どころかプレイを短時間で簡潔にクリアするための手順が事細かに記されています。
アクションゲームならあまり気にすることでもありませんが、オンラインRPG要素が絡んでくると問題です。この問題でモンハンとポケモンが出来なくなりました。
なんでかっていうと両ゲームともマニュアル化されており、折角多種多様な装備・ポケモンを選んで自由気ままにプレイするという楽しみ方が潰されているからです。
僕は少し前、先輩に誘われMH4Gをプレイしていましたが、通信で会うのは毎回同じような装備で同じように効率化された狩りをする人でした。僕自身攻略にあたり、ネットのテンプレ装備にし、モンスターの挙動をパターン化して覚えておくといいとのアドヴァイスをうけ渋々引き受けたようなこともあります。
また、ポケモンでは殿堂入りまでは旅用に捨てポケモンで構成して終わったら対戦用に育成を始めるといい。殿堂入りまでは前哨戦だ。とのアドヴァイスをうけ、僕が子供の頃にした悲願の殿堂入りまでの道のりは前哨戦だと吐き捨てられました。
結局シナリオプレイ中にどうせ今使ってるポケモンが対戦で使えることはないんやろなぁって考え始めたらなんだか無駄なことしている気分になって途中で投げました。
 
ネットの普及により知識の流布がなされ、総プレイヤーにゲームのプロ化が暗に勧められている事態は、自分のペースでゲームやりたい勢の僕にとっては致命的です。
 
こうなると結局通信要素のないRPGアクションRPGでお話をみるだけとなり、それならプレイ動画でいいじゃん。とゲームから遠ざかるのです。
 
 
僕にとってのゲームは別世界への逃避でした。
寂れた田舎から飛び出し経験したことのない世界に旅立つためのツールでありました。
 
そんなゲームに対して熱がなくなることは僕の心の持ち方が原因とはいえ悲しいことです。
やはり僕にはゼルダの伝説しか残ってないようです。
新作楽しみです。
でもVRみたいに革新的でSFチックで子供の時に妄想したようなゲームハードが世に出回るたびに心動かされるのでまだまだ僕も子供だなぁって思います。
ゲームに関しては以上です。
 
明日も学校に行きたくないし人に会いたくないです。
LINEの通知ランプの点滅がうざいし切ったら切ったで厄介なのでそこがまた尚ウザいです。
レポートの提出期限間近だけどなにもしてくてやばいです。
やっぱよゐこの有野を越せるゲーム実況者っていねぇなって思います。
 
 
これを書いてるときamazarashiの世界収束二一一六聴いてました。Gt/Vo.の秋田さんもゲーマーでゲームについて色々意見を言っているのでよく考えさせられます。
 
 
以上です。

あの子の叫ぶ音楽が

誰にも会いたくなかったので即刻家にかえってこの日記を書き始めました。

 
 
 
テーマは音楽です。よかったらお付き合いください。
 
 
僕の趣味の大部分を担っている音楽ですが、始まりはASIAN KUNG-FU GENERATIONからでした。
遥か彼方をNARUTOのOPで聴いたのが発端です。
アジカンは今でも聴くくらい好きですが後藤がTwitter極左発言をして叩かれてるのを見るたび悲しい気持ちになるしリライトだけの一発屋だとか今でも売れてんの?だとかいう自分の無知さに対して理解や恥じらいのないアホを見るたびに音楽が廃れている意味がわかるなー、とも思います。
あんまり、というか全くと言っていいほど政治に関する話はしたくないけど、後藤の政治的な考えはあんまり納得できないと思っています。まあ作る音楽は好きなので切り離して考えていますが。
 
他には親の影響もあり、175RとかアンダーグラフとかHYとかその時流行りのバンドやブルーハーツを聴いてました。
 
その後ネット環境の充実と共に多種多様な音楽に触れることができるようになりYOUTUBE2chを漁って色んなバンドを聴いてきました。
 
まあそんなことはどうでもよくてこっからが核心に触れる話なんですが、最近のネットでの音楽叩きってなんなんでしょうかね?
 
何にでもアンチはいる というのは大前提として理解しているんですけど、皆一様に「最近の音楽は~」みたいな叩き方するじゃないですか。確かに四つ打ちアップテンポでボーカルがハイトーンなバンドは若者にしかウケないだろうなぁとは思ってるんですが最近のバンドってそれだけじゃないよねってわけです。
BRADIOなんか歌唱力、演奏技術を突き詰めてさながらブラックミュージックの様な骨太60sサウンドを現代に昇華してるわけだし、
女王蜂はグラムロックの影を残しつつディスコ、果ては民族音楽までもを取り込んだ音楽をつくっているし、
The Winking Owlは本格派ボーカルも据えて洋楽POPと和製ロックとをうまく融合させた曲構成になってるし
Schroeder-Headzみたいにピアノの綺麗さを主体としてはいるもののバンド感も残しているのものいるし、
澤はドリブルが上手い。
 
まぁ何がいいたいかっていうとひとくくりに出来るほど最近の音楽のジャンルは狭くないって話です。
 
機材の発達により人間離れした激テクを音にすることを可能にしたり、時代の逆行をしてオールドミュージックを取り入れたり、エレクトロスウィングなんかみたいに今までなかったジャンルとジャンルとの融合をしてみたりと際限なく広がり続けるばかりです。
 
僕の大嫌いなミュージシャン(バンドマンとは呼びたくない)が「ギターは音に限りがあるから嫌いw」みたいな旨の話をしていましたが、限られているツールから自分の求めるものを作ることに趣があり、ここまで多種多様なものが生み出されていることがまずいいところなんじゃねーかなって思います。
 
でも受け手側だけの問題じゃないこともわかります。
某アイドルグループやダンスグループやジャ○ーズや奇を衒った一発屋感丸出しのコミックミュージシャンや興味を持つことのできないアニソン等で溢れ返るオリコンや音楽番組は見てて楽しいものじゃないしね。
 
昔は音楽の円盤販売がここまで商業的じゃなかったこともあり、多種多様な音楽がTVを通して知ることが出来ました。
でも最近は画一化された代り映えのない音楽にTVは汚染され昔のように音楽に触れる機会がなくなったんだと思います。
 
だからこそ声を大にして言いたいのは、TVから音楽を知る時代は終わったんだということです。
 
ラジオなんかは今でも様々な音楽で溢れ返っているし、iTunesストアにはジャンルにとらわれない音楽が紹介してあるし、Youtubeのリンクで飛んでいけば際限なく音に触れることが出来ます。
 
思考停止したアホが「音楽そのものが終焉を迎えている」などと言った戯言を抜かしているのを見て憤慨したことがありますが、気付かないだけで音楽はそこらじゅうに溢れ返っており、また、人類の長い歴史の駆け出しの打楽器や民族楽器を用いた演奏から今に至るまで音楽は続いています。そう簡単に終わるわけないじゃん。
主流となってはいるロックもポップスもいつかは消えるかもしんないけどその時は形を変えてまたなんか面白いものができるんじゃないかなーとは思います。
 
個人的感想では最近の音楽はとりわけ面白いものが多いと思います。
頭の悪い売れないバンドマンなんかが最近の売れ線はロクな技術もなくノリ感ウケしてるだけで気に食わないなんてこと言ってるのを立場上よく聞きますが、それはそれで面白いと思うし、フェスを見てても演奏技術の卓越が必ずしも動員数、そして観客ウケに左右されるわけでもないし所詮僕らアマチュアがプロ並みの耳、視点から音楽を追求することもないので楽しませたもん勝ちかなぁとは考えてます。
 
まぁこんなもんかな。
下手にディスる前にもっと聴き込んでみようって話です。
僕自身あまり深くは聴けてはいませんが。
 
これで何かが変わるわけではないけどなんとなくどっかに吐き出したかったので書いた次第であります。
 
ブログタイトルはALのMt.ABURA BLUESからです。
でも書いてるときはandymoriのファンファーレと熱狂聴いてました。
 
以上です。
 
 

増え続けるのは日付とため息

どうも、人生における初ブログです。

実はかなり以前からブログに対する興味があったんですが、やりだすきっかけもなく物怖じをし、Twitterとかいう140字に僕の言いたいことを凝縮して吐き出していたわけです。

しかし家でこれ以上やることもないので徒然と書いていくのもいいかなという思いに背中を押されこのブログが誕生しました。

 

最近、人と関わる機会が多すぎて日々に息苦しさを感じているこの頃です。

別に誰それと敵対しているとかいじめられているとかいった類の話はなく、寧ろ良好といった感じではあるんですがそれ故に人付き合いに作業的な部分を感じ始めてしまっているのと、人の悪いところばかりが目に入ってしまい目を逸らしたいという思いと、新しく出会う人間に拒絶されないように自分のキャラを売り込むこと、生理的に一方的に苦手だと思ってる人間とも立場上の問題で表面上では円満な関係を築き接していかなければならないこと、こういった自分の負の考えが知らず知らずのうちに表に出ており、誰かから拒絶されてないか。などの不安・問題を抱え込んでいます。

 

中でも人の悪いところばかりが目に入ってしまう問題が深刻です。

はっきり言って僕は他人の揚げ足を取ったり粗を探すことに関しては他の追随を許すことがない天才です。こんなところで才能を使いたくはないですが。

悪いところがない人間などこの世にはいないので挙げだすときりがないですがそれゆえに苦悩が多くて困ります。

 

人との関わりだけに収まらず、学業、サークル、言ってしまえば家の外で起こるすべてのことに慢性的な息苦しさ、めんどくささを感じてしまい家にいること以外を望まなくなってきました。

 

でも家にばかりいても特にやることがないわけです。

ゲームも昔ほど熱中できなくなったし漫画も小説もたまには読んで楽しむけれどそう毎日も買っていられないわけで、そうなるとネットくらいしかやることがなくなってくるわけです。

 

しかし、ネットも変遷を重ねており、かつての面影は残すものの昔のそれとは別ものになっているので辛いです。

物事が自分のよく思わない方向に変わってしまうのを見るのはいつだって辛いです。

僕は小学生の頃、友人の影響でネットを教えてもらいました。

実家はとても田舎で、遊ぶときはその地区にいるごく少数の子供が集まり遊ぶようなとても閉じたコミュニティーだったため、その頃のインターネットは現実では知ることのできない様々を教えてくれる別世界の様にも見えました。

 

その頃においての現実では中々得られない思考、思想、知識、笑い、遊び。そういったものをネット(とりわけ動画サイトやチャットや2chネトゲ)から教えてもらいました。

その過程で色んな人とネットで関わりましたがほぼ全員に共通して言えたのが現実世界とは切り離してネットを使っていることでした。OFF会やってたやつはしらん。

でも今のネットの在り方って違いませんか?スマートフォンやPCといったネットと繋がるデバイスが普及したため現れた「以前からいたネット民とはタイプの違った人々」が多数ネット上で煩雑していますよね?例えば彼らはTwitterやなんかのSNS等で見知らぬ顔の人間とつながることはあるものの基本顔の知っている友人との輪をネットでも保つためにやってません?

僕なりの解釈としては彼らはネットを現実世界の延長線上にしか捉えてないんだと思います。だからバカッターと揶揄させるDQN行為のネットへの露呈、SNS上で結ばれる遊びの約束、投稿を用いた日常会話の代理などといったことが繰り広げられるわけです。

この話をすると「こんな些細なこと別にいいじゃんw」みたいな返しをされるのが僕の現実生活においての常ですが、こういう考え方が出来る人間は僕から言ってしまえば向こう側の人間です。

SNS内でネット活動を続ける程度ならまだましなんですが、そこから2chになだれ込んでくる人間はかなり迷惑です。

彼らは個性を没して精神性の会話をする気がなく、現実世界のトークのような形でスレを立てたりレスをしたりします。

その結果原住民の2ch離れやハ○カラ騒動といった問題が起こります。

まあ後者は面白かったのでおk(ry

僕は常々人間は地球におけるがん細胞のようなものだ。と思っていますが、それはどうやらネット世界においても言える様です。

コミュニティーを作り上げるのも壊すのも結局は人間のようです。

今では惰性で、というかこれしかやることがないので2chをやっていますがそろそろ辞め時かなぁとは思っています。友人は昔からあるMMOで古参ネット民と身を寄せ合っていると聞いたので僕も2chに変わる何かを見つけたいと思っています。

 

 

 

いかがでしょうか。読んだ人の心を少しでも揺さぶれれば…。とか思ったんですが役者不足でしたね。掛けた時間は帰って来ないのでどうせならと思って投稿した次第です。

酒に溺れて書いたので日本語がかなりあやしい点が多く見受けられますがスルーしてね

結局は世間へのルサンチマンでしかないようなことしか書いてない気もする。

レポート1000字でひいひい言ってたけどこういう文体なら書きやすいなぁとか書いてて思いました。

 

これを書いてるときはaquarifaのscene聴いてました。

 

以上です。