断崖のヒーロー
心に華を日々に彩りを。
それは笑いです。
笑いの話です。
23弾です。
僕はお笑いが好きです。
笑うのも笑わせるのも好きです。
それはきっと、
ボボボーボ・ボーボボやでんぢゃらすじーさんを始めとするギャグ漫画や
人と関わるのが苦手だったので、
目に見えて心を通わせているのがわかる
笑い というコミュニケーションに頼ってきたという内的要因に起因するんだと思います。
そんなお笑い大好きマンの僕は最近ネット大喜利をしているんですが、
とても難しくて苦戦してます。
現実なら相手の好きな気色のギャグやイジリ、内輪ネタやフィジカルを用いたギャグなどがありますが、
それらが禁じられ、限られた時間の中でツボもわからない相手にいかに面白いことを言うかが試されるのでとても悩まされてます。
笑いはセンスだとは前々から思っていますし周知の事実です。
僕はセンスがない人間なので面白くなりたいなぁとは思うものの思うようにはいきません。
しかしながら、
飲食店で交わされる中身の無い話で笑う大学生や、
低俗な下ネタでしかボケれない人間や、
滑ってるギャグを持ちネタとして連発してくるオッサンや、
落ちもない自分語りしか出来ない人間などを見る度に、
可能な限り面白い人間になりたいとは思います。
さて、そんな面白くない僕ですが、
最近は笑うのも才能だなぁなんて思ったりしてます。
以前から、人が笑っているものに
「は?これ何が面白いの? 」とか、
勢いだけで笑わせてくるタイプのギャグに
「どゆこと?」みたいな事をいう人間にウンザリさせられてきましたが、
ふと、笑いの琴線が違うんじゃなくて単純に理解するだけの脳と教養を持っていないんじゃないかって思い始めました。
笑いを研究するショーペンハウアー先生いわく、
「笑いが生じるのはいつでも、ある概念と、何らかの点でこの概念を通じて考えられていた実在の客観との間に、突然に不一致が知覚されるために他ならず、笑いそのものがまさに不一致の表現なのである。」
とのとこです。
ともすれば、笑うセンスが無い人間は
「概念もしくは実在の客観の理解や認識が足りていない」との解釈が出来るわけであり、
結果的に笑いの幅の広さは知識量によって変化すると言えるのだろう。
ていうか、この言葉かなり的を射てるな。
寒い、滑っていると思ってしまうギャグは
相手の提示する実在の客観に対する相手の理解が自分の持つ概念に対しての理解に釣り合っていない
ってことなのかな。
わかんないけど。
こんなことを話した後に言うと手前味噌のような形になりますが、
僕は笑うことに関してのセンスはあると自負しています。
それはきっと多種多様な形で暇潰しとして行われてきたインプットが関係するのでしょう。
僕の好きな言葉に
「インプット無くしてアウトプット無し」
というものがありますが、笑いに関しても当てはまるようです。
一人で惨めに潰してきた時間が少しでも明日明後日の面白い僕への糧になるといいと思ってます。
以上です。
タイトルはamazarashiのヒーローからです。
tychoのDive聴きながら書いてました。
ブロン飲んでシーシャ吸いながらボーッと聴いてるとどっかに行けそうです。
寝ます。