ケルンの先の空を
先輩「職場に栽培マンにめちゃ似てる人いるの」
僕「はぁ」
先「栽培マンのフィギュア買いに行こーぜ」
僕「はい!」
と言うことで栽培マンのフィギュアを買いに中古ショップを巡り回ってきた第17段です。
ふえーーーーーーい
先日、スマホが壊れたので修理に出したんですよ。
必然的にスマホが使えない時期があったんですけど、滅茶苦茶不便極まりなかったです。
大事なものは失って初めて気付くとは言いますが、連絡手段としては勿論のこと、暇つぶしとして、ニュースを見る媒介として、目覚ましとして、ナビとして、スケジュール帳として、カメラとして、音楽再生器として。
あらゆる面からスマートフォンに依存していたんだなぁと思い知らされました。
今回はそんなスマートフォンの話です。
ぶっちゃけスマホ便利すぎだろ。
機器の値段の高さにも割と納得できると思うんですが。
高校時代は学校側から携帯へ依存しないようにとか言われてきたけど、
スマホでLINEやメールなどを用いたメッセージの遣り取りをスピーディに行うことが暗黙の了解としてあるこの社会で依存するなって方が無理あるでしょ。って感じです。
現にライン断ちしてた期間、メッセージを全く返さなかったので安否確認されかけたりしたわけです。
時代の変化に折り合いを付けられなかった古典的な人間が、電車の中のどこを見てもスマホを触る人間で溢れていることに悍ましさを感じると言っているのを見たことがあるけれど、
読書、ゲーム、メッセージの遣り取り、ニュースの閲覧なんかが出来る集大成的な媒介を触る人間で溢れることは別に普通だと思うんですけどね。
はっきり言っちゃえば取り回しが容易で使い方は多面的で一日当たりの使用限度もそれなりに大きいものが人類の生活に深く刺さらない訳が無いって話です。
PC○ポの件とかネット発祥でテレビでも取り上げられるスキャンダルが横行してるのを見るたびネットも市民権を得たなーって実感した上、その背景にあるスマホの普及率に改めて驚きです。
ガラケー派だった知り合いも結局は時代の流れに巻き込まれスマホに変更してしまっているしスマホは必需品的な存在になっています。
でもそんなスマホにありがたさを感じる反面息苦しさを感じますよね。
肌身離さない存在だという共通認識が広まってるからこそラインはすぐ返す、なにかがあったらSNSで発信する。
と言った様に、一人の時も常に誰かとの繋がりを感じさせる存在になっています。
それに息苦しさを感じるか感じないかは人それぞれとして、僕は息苦しさを感じるタイプの人間です。
故にこうしたスマホの発達をめんどくさいと思います。
便利さの反面、どこかで誰かが割りを食うのは世の常ですがそれが自分に回ってくると形容しがたい辛さがあります。
その物に対して 嫌悪感を抱くことはあっても何かしら依存している面があると自分はどういった立場で関わっていけばいいのかわかりません。
スマホ以外にもそんなものは色々ありますがそういうものとの付き合い方を上手く学んでいきたいです。
この前酒飲んで〆にラーメン行ったら酔いどれのオッサンが店主にT畑氏の事件に関して「女の従業員を一人で男の泊まっている部屋に送り込むホテルサイドに大きな問題がある」とか言ってたけどそもそもあのホテルは凄く小さいしワンオペだしでそこを狙ってT畑が泊まったって説もあるけど彼は何を思っていたんでしょうか。
持論なんですけど、有識者ぶってるヤツって大抵情報の取捨選択出来てないんですよね。
メディアの発した情報を鵜呑みして感情を起伏させる、嫌いな人種です。
スマホの普及によってこんな人間が増えてきましたね。虚構新聞とか信じてリツイートしちゃったりなんかしてアホさを露呈してるってどーなんって思っちゃいますね。
どーでもいいけど。
スマホに関しては以上です。
無事サークルのしがらみから解放されて自由の身になったので心が楽です。
友達と他愛ない愚痴を吐き合いながら酒を飲んだのでなおのこと心が楽です。
今日、起きれるだろうか。不安です。そろそろ単位とるのに心血注がないと就活に響く気がする。
憧れのスタインウェイを弾かせてもらう機会がありました。とても優しい音で感動しました。
スタインウェイと聞くとやはり思い浮かべるのはamazarashiのピアノ泥棒です。
ブンサテの川島さんが亡くなってしまい悲しいです。もう一度ライブに行って生で聴きたかったな。
タイトルはALのランタナからです。
これを書くときブンサテのkick it outを聴いていました。
終わります。