しらない合図しらせる子

 

飲み会上がりの第八弾です。

 

だるい。という考え方しかないし、飲んだとこのビールサーバーが絶対洗ってない感じなので嫌に生臭くて萎え感すごい。

 

自分がイベントの当事者でもない飲み会ってどんな顔して飲んでればいいんですかね?

僕にはわかんないです。

 

例によって酒に溺れているので恐らくきっと多分グダグダですがお付き合いください。

 

てなわけで今日のテーマは「飲み会」です。

 

サークルでの飲み会、会社での飲み会、成人式などのイベントで地元の友人と集まってする飲み会。成人したら大抵の人は関わるであろう飲み会ですが、

単純に考えて飲み会、好きですか?

 

是非が綺麗に分かれるであろう問いですが、僕は…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

とても好きです。

 

 

 

 

 

でも、とても嫌いです。

 

 

 

というのも、好きな場面と嫌いな場面があるんですよね。

 

 

 

僕は日頃から腹に抱えてることを吐露する場としてのしんみりした会話重視の飲み会も、

バカみてーなことやって騒ぐ飲み会も大好きですが、どんな場でも許せない人間というのは出てきます。

 

まず最初の腹立つ人間ですが、

「酒の勢いに任せて普段喋れない異性と話すタイプ」の人間です。

 

 

先に言っとくと別に飲み会で恋人の獲得を狙う人間を卑下するものではないです。(あんまり度が過ぎるとウザいから節度をわきまえて欲しいけど)

 

基本だれと話してよーが構わないんですが、酒飲んで酔っていることを免罪符に普段女の子と話せないような陰キャラががっついてるのみると嫌悪感を感じるっていうか、どこまで男らしくないねんって思うんですよね。なるだけ視界に入らないようにしてるんですが、やはり入るのが常です。

自分が男らしいか?と言われると耳の痛い話なのですが僕は究極の棚上げ星人なので異星の化け物がなんか言ってるぞっていうくらいのスタンスで捉えてください。

 

 

 

次に、「飲み会の輪において盛り上げようと飲んでる人間を冷ややかな目で見る大人ぶったガキ」です

 

はっきりいって飲み会の中心に立ってイッキしたり芸するのは別段楽しいものでもなく、使命感のようなものに後押しされて吹っ切れてやるものです。

 

そんな頑張る人間を、「ばかみてーなことやってんなー」みたいな目でみるやつ、はっきり言って万死に値する。

そりゃ中には目立ちたいからやってる人もいるだろうけど、基本飲み会をお通夜みたいな雰囲気にしないように尽力しようと思って盛り上げています。少なくとも僕が飲み会で出会った盛り上げる人たちは。

 

自分は特に何もしないくせに達観したような素振りで上に立ったかのような視点で頑張る人たちをバカにしてるって文化祭シーズンの陰キャラじゃねーんだからさー。って思うわけです。

…あれ?Twitter上における俺もこんな感じj(ry

 

 

 

 

あとこれが最上級に許せないタイプのクソヤローなんですが、

「全然飲んでないくせに自分が酒強いと勘違いしてるタイプ」のカスです。

 

これマジ「死」あるのみだろ。

 

僕自身、人並み以上には飲めるかなー。って感じなんですが、バカみてーに酒飲むどちゃくそ酒強い先輩とか地区でも酒豪三強と称される父親を見てる分、自分の飲酒量に自信を持つことはできません。

 

まあ別に飲める量を競えってわけでもないんですけど。

 

それにしても飲み会において端っこの方でチビチビ飲んで、前に集まってみんなで飲む雰囲気になってもそれに参加するわけでもなくさらりと逃げている人間が自称酒強いマンになってるとなにかしらの制裁を与えたくなるものです。

 

一度、ホント許せなかったのでどうして自分のアルコール耐性に自信があるか聞いたところ

「他の人が潰れている中でも自分は元気だし、飲み会最後まで自我があるから」とのことでした。

 

苦笑でした。

 

こいつがすげーバカだからこの結論に達している。ってならまだいいんですけど

こういう思考回路のやつが自称酒強いマンにおいて大半なんですよね。

 

こんなん相手にするだけ無駄って思ってるんですが、やっぱ無能の民が勝利宣言してたら腹立つもので、結構耐えれない感じの悩みです。

 

 

 

 

酒がほんとに無理な人もいるってことは重々把握してるので

別に飲み強要とか、過度のアルコールハラスメントとかはしないけど

参加の出欠が自由に選べるような飲み会においては出席する人は当事者意識をもってほしいなーって思います。

飲まないなりにも輪に加わるとかね。

ダルそうな顔で見下したり帰りたがってるくらいなら家でネットや自慰でもしてればいいじゃん。って話です。

 

 

リアルの一個人に向けて直接話すべき話題ではあったかなぁとは思うんですが、

僕は嫌いな人間は骨の髄まで嫌いなタイプなのでやっぱあんまり関わりたいとは思えずネットで毒吐くしかできませんでした。

 

 

飲み会に関しては以上です。

 

 

 

特に何もしてないのに年が上というだけで後輩から慕われるのは気分がいい反面申し訳ないなって思います。

 

飲み会マジックとはいうけどなんで酔ってるときって異性に対するストライクゾーンが広くなるんだろって疑問に思いました。

 

勢いだけの意味不ギャグを「意味わかんねぇからおもしろくねぇ」っていう人いるけどああいうのは意味わかんねーから楽しいんだよなって思います。

 

一日に5回は昔に帰りたいって思っています。

 

 

 

 

 

 

これを書くときserial TV dramaシリアルキラー聴いてました。

 

以上です。

楽しいのは今日まで


深夜徘徊なうな第7弾です。
夏の夜の散歩って結構好きです。
肌にまとわりつく湿気も含めて。
昼間の活発的な風景と夜の虚無感に溢れる町との対比をしながら歩くと面白いです。

なんで深夜徘徊するってなったかっていうと酒もあるしなんか観てぇなーって思って片道徒歩一時間強のGEOまで行くかってなった次第です。


てなわけで今日のテーマは「映画」です。

正直あんまり映画見る方でもないんで必然的に話がBLEACHの背景並に薄くなる気がする。



映画の好みって人によって綺麗に別れますよね。
同じコーナーに人が集まってるところあんまり見ないしわりと分散してる気がする。

僕はもっぱらホラー映画とか観るんですけど、ゴア描写強いのとか心霊要素に頼りまくってるのとかゾンビとかそんなんが暴れてる感じのパニック映画を取り込んだやつとか嫌いなんですよね。

苦手ってわけじゃなくてなんか安っぽいっていうかもうそれ自体が自分の中でマンネリ化してるっていうか。

でも仄暗い水の底からみたいに最後のオチに少し霊が姿を出すとかなら全然いける。

洋ホラーは強襲、和ホラーは侵食 といった表現をネットで見ましたが結構共感しました。
洋ホラーのビックリ系って驚くだけで尾を引かないんですよね。
何気無い日常と映画のワンシーンが被って不意に思いだし怖くなるみたいなのが理想です。
そうなると結局トリハダしか観るもんなくなる気がする。
厳密的に言うと映画じゃないけど。


後は話題になってる映画を人に誘われて観たり、ネットで名作と賞賛されてるものを借りてみたりとまあまちまちです。


あと安っぽい青春ラブコメ映画とか絶対観たくないんですよね。

少女漫画の実写化とかその辺を成人した人間が昔成し得なかった青春の代替や昔に浸るツールとして使うのなんかキモいって思ってしまうんですよね。感情的な拒絶なので理では嫌悪感の詳細を話せないです。


あ、コメディ映画なんかも結構見るかな。
マスクとかMr.ビーンとかホームアローンとか。最強絶叫計画?みたいなパロ映画も大好きです。好きなくせにタイトル覚えてねーけど。


わりと真髄に近い話なんですが、映画ってあんまり他人の評価が当てになりませんよね。
ネットとか友人とかに猛プッシュされて観るやつってあんまり胸に響かない。
まあ自分の中で勝手にハードル上げまくってるからだと思うけど。

昔、イージーライダーって映画が「バイクと旅が好きなら絶対観ろ!」って推され方してたので友達と見たんですけどスッゲー微妙でした。
ステッペンウルフのBorn to be wildが流れたときは心に来たけど。
なんていうか、ああいう当時の人々の暮らし、風潮、考えなんかを理解していないと行動の理由がわからない映画って僕みたいな学のない人間からしたら なにやってるかわからんわ ってなるんですよね。話にのめり込めないというか。


古い映画の良さはその時代に溶け込むことが出来る点だ。
って思ってるんですけど、それをするにはある程度の知識を有していなければいけないわけで。
てなるとやっぱヒューマンドラマはもっての他で、頭が空でも楽しめるコメディや本能に恐怖を訴えかける系のホラー映画や単にCG技術力をみるだけで良いアクション映画が向いてんのかなーって思いました。

フランス映画のモンテーニュ通りのカフェっていうやつみたけどコメディ要素強くて面白かったです。
勝手にしやがれはクソつまんなかったし全く理解できなかった。
教養が求められる映画は向いてない説。


映画の話は以上です。
批評すらロクに出来なかった。
 


今日は精神的療養を目的とし、一日中誰とも連絡とらずに引きこもってました。



昔、元カノに付き合うことになった日、彼女が観たいと言うので借りてきた
ノートルダムの鐘」
っていう醜男が美女に恋するも、美女を狙う悪役を倒した上で身を引き、美女はイケメン王子と結ばれるみたいな内容の映画を観たときは「(あれ?俺これ遠回しに拒絶されてね?)」って思いました。なんとかなったけど現在の視点で見るとなんとかなりませんでした。

GEO行ったけど映画借りずにゲームセンターCX借りてきました。





これを書くとき、空中ループのステレオ聴いてました。ループで。
タイトルもこれからです。
カバーだけど隠れた名曲なので良かったら聴いてね。
PVでも深夜徘徊してる男を映してるくらい深夜徘徊向きです。


歩きスマホは…やめようね!




終わります。

夏を待っていました

 

その実あまり待っていませんでした。

 

はやくも七月な第六弾です。

夏の境目ってどこなんですかね、六月ってあんまり夏感ない。

 

月日の流れの速さに驚くばかりです。

ついこの前四月じゃ…?って感じですね。

子供の頃は体感的に時間の流れが遅く感じ、大人は早く感じるものなんだそうです。

大人になるにつれて新しいことをあまり学ばなくなるから脳が慣れて生活を効率化するんだとかなんとかの理由で。

人生を80歳だったかで考えたとき、体感速度での折り返し地点がは19歳らしいです。

嘘かホントかわかんねーけど。

 

何はどうあれ月日の流れにあらがうことは出来ないのでダラダラなりに日々を溶かしているわけです。

 

というわけで話は戻りますが、、、夏です。

アウトドアの季節です、レジャーの季節です。

 

夏フェスとか都会に出たりとかライブとかキャンプとかBBQとか花火とかしたいなーって思ってます。

田舎者なので自然に基づく遊びになると俄然やる気が出ます。

 

というわけで今日のテーマは「遊び」です。

オフの日って何して遊びますかね?割と人の意見が気になる点です。

 

僕は地方都市と呼ぶのも憚られるような田舎街(実家よりは圧倒的に都会)に住む身なので、基本人と遊ぶとなったら県外まで車を飛ばしたり、ネカフェでビリヤードやダーツをしたり、ゲーセン行ったり、家で酒を飲んだり、麻雀したり、映画見たり、釣りしたり、ゲームしたりとそんな感じです。

 

都会に行った友達曰く、飲みに行ったりクラブに行ったりしてるよw

との事なのでうるせえ黙れって思いました。

 

こうやって振り向くと子供の頃の遊びとは大きく変わったなーって思いました。

子供の頃はもっぱら缶蹴りがメインでしたが他にも小学校集まって野球したり、木材拾ってきてコース作って自転車でアスレチックやったり、ゲームしたり、バスケしたり、サッカーしたりって感じで今やったら警察飛んできて職務質問受けそうなものばかりです。

まあ外遊びが基本って感じですね。

 

でもメディアのいうことを真に受けて話すと、最近の子供って室内遊び基本なんですよね?

基本ゲームしてるみたいなことをTVでも見たしネットでもよくそんな記事を見ます。

一言でいうともったいないです。

子供の頃にしかできない遊びをやらずして大人になるのは非常に損をしている気がします。

とはいうものの、外で遊ぶと騒音に過敏な心に余裕のない大人がすぐクレームをいれるって事例があるらしいですね。嘆かわしいです。

 

今の生きる世は割と転換地点にある気がします。

時代の当事者として視野が狭いからそう思うだけかもしれませんが。

 

人類の歴史始まってからというものの子供が外で遊ばなかった時代…、っていうと戦時中挙げられそうだからあいまいさを回避するため言い換えると、子供が外で遊ぶことに対して消極的になった時代ってあったか?無さ気じゃね?

 

時代の転換地点というのはサイバーとリアルとの二つが天秤に掛けられているといった問題です。

 

技術革新はすごいもので某国民的お助けロボット漫画に出てくるモノを再現していく動きすらあるそうで数個は完成しているそうです(何かは知らない。)

 

限界値が定められていないサイバーを取り入れた遊びは子供どころか大人にも受けるでしょう。でもそれ故に自然を度外視し人間の手で作りだした機械的なものに傾倒する世の中ってなんだか不気味に感じます。

 

東京に住む子供たちが農業などの自然に触れてその楽しさを知る企画なんかをたまにTVで見ますが、人間の「動物」として生きる楽しさもこれからの子供に知っていってほしいな、なんて思います。

 

 

 

なんか環境保護団体みてーなこと言ってっけど。

 

まあ田舎者の妄言です。

グローバル化が進む世の中において、土地がない日本で農業に原点回帰しても国際競争に振り落とされるだけだからこれからはもっとサイバー化が進んでいかなくてはならないんだろうけど。

 

まあ都会的な遊びも楽しいよね、街歩いてるだけでおおよそ暇を潰せるなにかが見つかるわけだし。

僕も近いうちに東京行きてーなって思います。

 

遊びについてっていうか田舎プッシュに関しては以上です。

 

 

 

 

昼以降何も食べてないのでお腹空きました。

ようやく休みかと思ったら日曜にまた予定入って気だるげです。

セット凝ってる素人モノ、違和感ヤバいしそんなだったら最初から銘打つなよって思いました。

夏そのものは好きだけど夏の終わりって凄くノスタルジックで嫌いです。

蚊に刺されまくってイライラです。

ちなみに「蚊」の漢字って蚊がブンブン飛ぶから虫偏に文らしいよ。

知ってた?じゃあいいわ。

 

 

 

以上です。

 

これを書くときamazarashiの千年幸福論聴いてました。

青森にも行ってみたいです。

夜に逃げたら

 

最近知ったんですけど、アクセス解析で何回このサイトを人が閲覧したかわかるんですね。てっきり無に等しいだろうと思ってたけど思ったよりもいて驚くばかりです。

こんな日記で何を伝えれるかわかんないけど毎回僕が提示してるテーマに関して再度考える機会になったらそれはうれしいなって思います。

 

脳の引き出しに家で寝る、飲酒・喫煙、食事以外入っていないタイプの人間なのでネタがそろそろ無い第五弾です。

 

無理矢理書くもんでもない気はしますが。

 

ところで、第○弾みたいな書き方するとデュエマっぽいですよね。

 

楽しかったなあ。中学校までしかやってないけど。あれ今何弾くらいまで行ってんだろ?30越したのはどっかで見た気がする。

 

「カードゲームにあそこまで金使った俺がアホやった…」みたいなセリフよく聞くけど今考えるとこの年にもなって根強く楽しかったのを覚えてるってことは費用対効果で言うと結構いいんじゃないかな?なんて思います。まあ僕は人から貰ったりトレードしたりとであまりパックを買った思い出はないですが。

 

大学生や社会人になっても続けている人から「楽しかったって思うならまたやればいいじゃんw」って言われますが、ネットが発達して勝率の高いデッキが煩雑しており、いわばガチデッキ主体の世界に突っ込む気はあまりないです。

自分なりにコンボとか戦法とか考えて戦うのが楽しかったんで。自分の作ったデッキに正解と不正解があったら嫌だなーって思って敬遠しちゃうんですよね。

まああとは中古ショップのカードゲームコーナーで嫌な笑い声轟かせながらカードゲームしてたあの成人済みオタクたちのようにはなりたくないなー。とも思うってのもあります。

 

前置きが長くなりましたが今日のテーマは「オタク」です。

オタクという造語も今ではネット用語からみんな知ってる日用語録になりましたね。

Wikiによると「オタクとは、自分の好きな事柄や興味のある分野に、極端に傾倒する人を指す呼称。」  とのことです。

ふむ。ちなみに「オタク」で検索かけた時の予測候補の上位が「オタク キモイ」でした。頑張れオタク。

 

とまあ今日したいのは安直なオタクディスではなくむしろ多角的に見た際のオタクのすごいところを挙げていこうってなわけです。

ちなみに今日使っているオタクが指すのはアニオタやドルオタなどの偶像化した異性を崇拝しているジャンルのオタクです。

まあ僕も言ってしまえば二次オタなわけですから手前味噌のような形になりますが申し訳ないです。

 

 

まずオタクのどこがすごいか。

コンテンツに対する愛の深さです。

例えば、Twitter上では結構前のアニメでもずっと変わらずファンを続けている人がいます。コンテンツは飽きが来るのが常なのですがその道理すらも乗り越えて自分の一途さを素直に続けるオタクはすごいの一言に尽きます。他にもそのコンテンツへの知識を単純に高めまくってる人とかその辺も。

でも、最近の子でこういうタイプのオタクは少ない気がする。流行りものに乗り移ってくだけのいわばお祭り騒ぎに興じるのが好きなだけでそれをコンテンツに対する愛だと勘違いしてるタイプの子ですね。悪いとは言えないけどいいとも言えない気がする。爆発的にハマり綺麗に忘れ去るってのはコンテンツの使い捨て主義に傾きがちだし、そうなった際の業界全体の廃退は目に見えてわかるしね。

 

次に、人目を気にしない点です。

興奮するってことはTPOをわきまえなければならない行為です。

嬉しいことがあった際にも公共の場であるなら大半の人は喜びを胸にしまい、多少の外面に表れる程度の笑みを浮かべるくらいで奇声や大声は発さないでしょう。

でもオタクは人の目なんて関係なしです。

学内でカードゲームをして叫び合ったり早口でゲームを進行させたり、好きなアニメの魅力なんかを伝える際も内輪だけに収まらずその場にいる外部を巻き込むレベルででかい声をだし興奮します。この相互監視社会と呼ばれている日本ですが、大半の人間が恥じらいや外面・世間体を捨て去れず保身にまわるなか、オタクはそんなこと気にもせず欲望の赴くままに自分の感情を表に出します。これはいいことかわるいことか問われるとその判別をすることは僕にはできませんがとりあえずすごいとは言えます。頑張ってよく言おうと思えばとてもエネルギッシュである。の一言に尽きます。

 

 

最後に挙げるのは

コンテンツのためなら惜しみなく金を使う点です。

例えば普段オタクがふらりと寄った雑貨屋に置いてあったキーホルダーを買うか?

グラスを買うか?文房具を買うか?

答えはおそらくNOです。しかし、それらすべてがアニメショップにある、好きなキャラクターが刻印されたものだったらどうだろう。買うでしょう。

ここがすごいです。用途的には特に必要ではないが自分の好きなものが刻印されているというただ一点の為に購買意欲を高めるわけですから。アイドルオタクにおいても一般人からは理解されないが「自分が支えなければいけない」というよくわからない使命感のもと、大量のCDを買うわけです。(この商法はホント考案した例のヤツもろとも滅んでほしいですが)大量に余るCDというデメリットすら押し退けて金を突っ込むわけです。

 

これらがオタクのすごい点です。

特に最後の金についての性質は本当にすごいと思います。

無形のもののために財を惜しみなく使える性質を上手く使うのって発案者からすれば金の生る木を生み出す錬金術感覚なんでしょーね。

僕もサービス業以外の無形のもの、もしくは質の高くないものに付加価値を付けてコストを抑えているにも関わらずそれに基づかない値段設定をできるものなどをなんとかして売ってお金を稼ぎたいなぁなんて思います。   無能じゃなくなった来世で。

 

 

オタクに関しては以上です。

 

久しぶりにスロット行ったらおいしい台落ちてて嬉しかったです。

YOUTUBEの火花の広告いい加減キツイなって思いました。

また地元帰ったら原付の旅してぇなって思いました。

今日金曜かと思っててようやく休みだって思ってたらまだ木曜でした。

キャンパス内歩いてて声は掛けられてるけど一緒に飯行ったり遊び行ったりするのって一部だなーって思いました。

リア垢みてて主語のないツイートホントうっとーしーなって思ってミュート機能めっちゃ行使しました。

 

 

 

これを書いてるとき、ピロカルピンの落雷聴いてました。

 

以上です。

呼吸するにも意味を

本当にやることがないので日記第四弾です。

 

今日はなんだかんだ講義出たけどやっぱりやる気は出ませんでした。

なんだかんだ人と出会ってしまいました。

やはり家が一番いいです。

 

今日のテーマは「大学生」です。

 

僕自身、大学生ですが大学生のことが滅茶苦茶嫌いです。

椎茸よりも嫌いです。

 

というのは何故でしょうか。

ムカつくから。

で終わらしてはただの感情論で片付けられそうなのでダラダラと書きます。

 

その中でも特に嫌いな二大大学生を紹介します。

一つ目は、「根拠のない浮足立った自信を持つ大学デビュー」です。

 

僕の大学は地方駅弁ということもあり全国各地のセンター試験に敗北したレジェンド達がこぞって集まります。

 

そうなると、高校生活で自分が思うようなキャラを描けなかった陰キャラまたはキョロ充は周りに過去の自分を知る人間がいないのをいいことに身の丈に合わないキャラ設定で人と関わりコミュニティー内でアイデンティティーを確立させようとしてきます。

 

そういう人間は範囲の決まった閉じたコミュニティー内だと弾圧・排斥されるわけですが、大学のような自分で付き合う範囲・人間を選択できる場だと自分を受け入れてくれる同じタイプの集まるコミュニティーを総当たりで探していけば良いわけですのでよほどのことがない限りどこかしらに所属することはできます。

拒絶されないのをいいことに一人で空回りしたり、女慣れしてないのによくわからないいじりをして微妙な空気を作ったりなどの問題行為します。にもかかわらず、自分は上手くやっていけてるという確信を抱き、それが自信となり、結果として中身のない自称ウェイが量産されてしまうわけです。

自称ウェイはいわば脳が冷静になれていないので行動に制限がつかず、いわゆるDQN行為などを行い全然面白くないのに自分が面白いと勘違いし、それを吹聴する産業廃棄物です。

 

 

次に「流行に乗っているだけなのに個性があると勘違いしてるアホ」です。

量産型大学生という言葉をあちこちで聞きますがまさにこれです。

ファッションにおいてもWEGOやアーバンリサーチなんかで服を買いニューバランスを履き、聴いている音楽もフェスに行けば確実に出てるような、大学生として生きていれば誰かから教えてもらうようなバンドの曲であり、SNSで誰かがやってるような面白行為を模倣して内輪で楽しんでる。ようするにマニュアル人間なわけです。

別にマニュアル人間であることに批判はしません。コスパ良く生活を充実させるためにはマニュアルに従うべきですから。

でも、ここで腹が立つのが自分を特別な何かだと勘違いしていることです。

はっきりいってどんな大学にも最低でも1割はいるであろうキャラなのに自分のことを正しく評価せず思いあがっています。これを許すことはできない。

 

 

まああとは、コミュニティーに拒絶された同士で身を寄せ合い互いに肯定をすることで内部的な需要と供給を満たすオタク、意識の高さだけが暴走するものの具体的な行動はしない口だけの意識高い系なんかも嫌いだけどこれらは別に大学生じゃなくてもいる気がするのでまあスルー。

 

感情論だと思われないようにするためにって書いたんですが、自分の苛立ちを動力に書いた文が感情論にならないわけがなかったなって書いてから思いました。

 

でも最終的に行き着く嫌いなタイプの大学生は自分みたいなタイプの根暗クズなんですよね。同族嫌悪でしょうか。

 

大学生に関しては以上です。

 

買ったお酒が思ったよりも不味くてリピートはないなって思いました。

新しいたばこの銘柄攻めると面白いなって思いました。

目先に何かしらの予定があると息苦しくて辛いなぁって思いました。

ハチゲキの「バーティカルJ.M.ヤーヤーヤーヤード」ってあるけどこの世で一番語呂良いなって思いました。

 

これを書いてるときregaのMillion聴いてて、やっぱ名盤だなーって思ってました。

以上です。

ひとりひとり消えてく街

短時間に何個書くねん といった感じですが寝れないし酒も回ってきたのでダラダラと書きます。

 
 
昨今の技術革新で最も飛躍的だと思うものの一つって何だと思います?
色々あると思うけど僕はゲームを挙げたいところです。
 
というわけで今回はゲームの話です。
 
ゲームの進歩ってのは凄いですよね。
テレビテニスが生まれてからたかだか40年ほどで点と棒を操作してホッケーするようなものがリアルと見紛うほどのグラフィックで人や景色が写し出されるものに進化してるって信じがたいです。
 
 
僕は田舎モノだったこともあり、ゲーム少年だったのでとりわけゲームには多大なる愛情を持っています。
 
ゲームボーイに始まり、FC、SFC、64、PS1、アドバンス、GCPS2PSPwiiPS3とゲームハードに触れてきました。
親がゲームに対して寛大でなかったのでほとんど友人宅でのプレイでしたがやったゲームはそれなりに多い気もします。
 
子供の頃の思い出を振り返るとそれなりの範囲をゲームが占めています。
初めてキンハ2した時はグラフィックの高さに感動したし、パラッパラッパーした時は三面のボタン反応やけに鈍いなと思いつつ曲のカッコよさに心惹かれたし、ポケモンしたときは皆で交換・対戦をしながらお気に入りのキャラを育成するのが楽しかったし、64スマブラでいつも一方的に負けてたし、ナルト激忍2でハメ技使って喧嘩になったし、ロックマンエグゼを通して今でも遊ぶくらい仲のいい友達もできたし、マリオカートWダッシュでは足でコントローラー引っこ抜く技で楽しみあったし、サンシャインのアスレチック面をみんなで交代でプレイしあったし、友達と考えをぶつけ合いながらゼルダの謎解きをしたし、放課後に友達宅に集合して皆でモンハンをしたり、BO2にハマり週末友人宅で四人対戦を徹夜で繰り返したりなど、少し思い出すだけでもめちゃ出てきます。
 
 
いやまあこれは別にどうでもいいんですが。
 
僕が問題にしたいのは、「ゲームのネガキャンによるデメリット」と 「スマホゲーの発達」と「ネットの発達によるゲームの単純効率化」です。
 
まず「ゲームのネガキャンによるデメリット」ですが、
ゲームのスレとかレビューとか見るとあの手この手でゲームを扱き下ろして駄作認定させたがっている場面をほぼ100%見ます。
まあ何にでもアンチはいるわけだから自分が気にしなければいいでしょ。っていうわけではないと思うんです。
世の中には様々な人間がいるわけで、その中には当然情報に流される人間が多数いるわけです。そういった人々は批判レビューをまともに受け、エアプレイにも関わらずゲームを酷評し駄作だというレッテルを貼り、クソゲーだから買わねぇし買ってるやつは情弱だと喚きます。
この被害の最たる例はジョジョASBかな、って思ってます。確かにパッチ修正以前のあのゲームは完成品とすら言えないような不出来なものでした。
しかし、パッチが当てられて最新版になってからは普通に遊べる代物に変わっており、クソゲーオブザイヤーにノミネートされない程度の出来にはなっていました。
批判の的になっていたDLCキャラが購入式であるみたいなものも格ゲーならわりと普通なことだと思うんだよなぁ。
しかし、批判は広まるもののゲームバランスの改善などのいい報告は大抵されずASBの名前を出すだけで反射的にクソゲーでしょ?って言われたこと結構ありました。
結果としてゲームが投げ売りされたり続編が中止になったり鳴かず飛ばずで終わる等の事態が事実に基づいていない情報の流布により引き起こされるわけです。
ゲームの衰退阻止を考えると良ゲーを正しく評価し合って伝えあえるといいんですが、うーん、それは難しいですよね。
 
 
次に「スマホゲーの発達」です。
先に言っとくと僕はスマホゲー好きじゃないです。
金と運で殴り合ってる感じが否めないしゲームというよりは作業って感じでなんだかなぁって思うんですよね。まぁ軽くしかやったことないんで、のめり込んでみたら見えるものもあるのかな。とも思うわけですが。
んで、ここでしたいのはスマホゲーが家庭用ゲームにとって代わったためゲームは衰退の一途をたどっているとかいうディスではなくむしろ称賛です。
あらゆるゲーム会社がグラフィックの向上、ゲーム性の独創性を追求し利益を出そうとしている中で、あえてゲームの簡略化、手軽さに重きを置いて客を勝ち取ったというのは面白いことだと感じました。
射幸心を刺激して顧客の一人一人から際限なくむしり取る様は嫌いですがその商才は認めなければならないものです。
スマホゲーと家庭版は別腹というところまで家庭版が魅力的で光る新しいなにかを見つけることが出来たら面白いなぁと思いつつ互いの発展を見ています。
 
 
 
最後に、「ネットの発達によるゲームの単純効率化」です。
これが最近僕のゲーム熱を奪う原因となっていて困っているものです。
最近はゲームウィキも発達し、あらゆるゲームの攻略が載っています。
しかし、調べようと思えば直ぐに直面している難関の解決策どころかプレイを短時間で簡潔にクリアするための手順が事細かに記されています。
アクションゲームならあまり気にすることでもありませんが、オンラインRPG要素が絡んでくると問題です。この問題でモンハンとポケモンが出来なくなりました。
なんでかっていうと両ゲームともマニュアル化されており、折角多種多様な装備・ポケモンを選んで自由気ままにプレイするという楽しみ方が潰されているからです。
僕は少し前、先輩に誘われMH4Gをプレイしていましたが、通信で会うのは毎回同じような装備で同じように効率化された狩りをする人でした。僕自身攻略にあたり、ネットのテンプレ装備にし、モンスターの挙動をパターン化して覚えておくといいとのアドヴァイスをうけ渋々引き受けたようなこともあります。
また、ポケモンでは殿堂入りまでは旅用に捨てポケモンで構成して終わったら対戦用に育成を始めるといい。殿堂入りまでは前哨戦だ。とのアドヴァイスをうけ、僕が子供の頃にした悲願の殿堂入りまでの道のりは前哨戦だと吐き捨てられました。
結局シナリオプレイ中にどうせ今使ってるポケモンが対戦で使えることはないんやろなぁって考え始めたらなんだか無駄なことしている気分になって途中で投げました。
 
ネットの普及により知識の流布がなされ、総プレイヤーにゲームのプロ化が暗に勧められている事態は、自分のペースでゲームやりたい勢の僕にとっては致命的です。
 
こうなると結局通信要素のないRPGアクションRPGでお話をみるだけとなり、それならプレイ動画でいいじゃん。とゲームから遠ざかるのです。
 
 
僕にとってのゲームは別世界への逃避でした。
寂れた田舎から飛び出し経験したことのない世界に旅立つためのツールでありました。
 
そんなゲームに対して熱がなくなることは僕の心の持ち方が原因とはいえ悲しいことです。
やはり僕にはゼルダの伝説しか残ってないようです。
新作楽しみです。
でもVRみたいに革新的でSFチックで子供の時に妄想したようなゲームハードが世に出回るたびに心動かされるのでまだまだ僕も子供だなぁって思います。
ゲームに関しては以上です。
 
明日も学校に行きたくないし人に会いたくないです。
LINEの通知ランプの点滅がうざいし切ったら切ったで厄介なのでそこがまた尚ウザいです。
レポートの提出期限間近だけどなにもしてくてやばいです。
やっぱよゐこの有野を越せるゲーム実況者っていねぇなって思います。
 
 
これを書いてるときamazarashiの世界収束二一一六聴いてました。Gt/Vo.の秋田さんもゲーマーでゲームについて色々意見を言っているのでよく考えさせられます。
 
 
以上です。

あの子の叫ぶ音楽が

誰にも会いたくなかったので即刻家にかえってこの日記を書き始めました。

 
 
 
テーマは音楽です。よかったらお付き合いください。
 
 
僕の趣味の大部分を担っている音楽ですが、始まりはASIAN KUNG-FU GENERATIONからでした。
遥か彼方をNARUTOのOPで聴いたのが発端です。
アジカンは今でも聴くくらい好きですが後藤がTwitter極左発言をして叩かれてるのを見るたび悲しい気持ちになるしリライトだけの一発屋だとか今でも売れてんの?だとかいう自分の無知さに対して理解や恥じらいのないアホを見るたびに音楽が廃れている意味がわかるなー、とも思います。
あんまり、というか全くと言っていいほど政治に関する話はしたくないけど、後藤の政治的な考えはあんまり納得できないと思っています。まあ作る音楽は好きなので切り離して考えていますが。
 
他には親の影響もあり、175RとかアンダーグラフとかHYとかその時流行りのバンドやブルーハーツを聴いてました。
 
その後ネット環境の充実と共に多種多様な音楽に触れることができるようになりYOUTUBE2chを漁って色んなバンドを聴いてきました。
 
まあそんなことはどうでもよくてこっからが核心に触れる話なんですが、最近のネットでの音楽叩きってなんなんでしょうかね?
 
何にでもアンチはいる というのは大前提として理解しているんですけど、皆一様に「最近の音楽は~」みたいな叩き方するじゃないですか。確かに四つ打ちアップテンポでボーカルがハイトーンなバンドは若者にしかウケないだろうなぁとは思ってるんですが最近のバンドってそれだけじゃないよねってわけです。
BRADIOなんか歌唱力、演奏技術を突き詰めてさながらブラックミュージックの様な骨太60sサウンドを現代に昇華してるわけだし、
女王蜂はグラムロックの影を残しつつディスコ、果ては民族音楽までもを取り込んだ音楽をつくっているし、
The Winking Owlは本格派ボーカルも据えて洋楽POPと和製ロックとをうまく融合させた曲構成になってるし
Schroeder-Headzみたいにピアノの綺麗さを主体としてはいるもののバンド感も残しているのものいるし、
澤はドリブルが上手い。
 
まぁ何がいいたいかっていうとひとくくりに出来るほど最近の音楽のジャンルは狭くないって話です。
 
機材の発達により人間離れした激テクを音にすることを可能にしたり、時代の逆行をしてオールドミュージックを取り入れたり、エレクトロスウィングなんかみたいに今までなかったジャンルとジャンルとの融合をしてみたりと際限なく広がり続けるばかりです。
 
僕の大嫌いなミュージシャン(バンドマンとは呼びたくない)が「ギターは音に限りがあるから嫌いw」みたいな旨の話をしていましたが、限られているツールから自分の求めるものを作ることに趣があり、ここまで多種多様なものが生み出されていることがまずいいところなんじゃねーかなって思います。
 
でも受け手側だけの問題じゃないこともわかります。
某アイドルグループやダンスグループやジャ○ーズや奇を衒った一発屋感丸出しのコミックミュージシャンや興味を持つことのできないアニソン等で溢れ返るオリコンや音楽番組は見てて楽しいものじゃないしね。
 
昔は音楽の円盤販売がここまで商業的じゃなかったこともあり、多種多様な音楽がTVを通して知ることが出来ました。
でも最近は画一化された代り映えのない音楽にTVは汚染され昔のように音楽に触れる機会がなくなったんだと思います。
 
だからこそ声を大にして言いたいのは、TVから音楽を知る時代は終わったんだということです。
 
ラジオなんかは今でも様々な音楽で溢れ返っているし、iTunesストアにはジャンルにとらわれない音楽が紹介してあるし、Youtubeのリンクで飛んでいけば際限なく音に触れることが出来ます。
 
思考停止したアホが「音楽そのものが終焉を迎えている」などと言った戯言を抜かしているのを見て憤慨したことがありますが、気付かないだけで音楽はそこらじゅうに溢れ返っており、また、人類の長い歴史の駆け出しの打楽器や民族楽器を用いた演奏から今に至るまで音楽は続いています。そう簡単に終わるわけないじゃん。
主流となってはいるロックもポップスもいつかは消えるかもしんないけどその時は形を変えてまたなんか面白いものができるんじゃないかなーとは思います。
 
個人的感想では最近の音楽はとりわけ面白いものが多いと思います。
頭の悪い売れないバンドマンなんかが最近の売れ線はロクな技術もなくノリ感ウケしてるだけで気に食わないなんてこと言ってるのを立場上よく聞きますが、それはそれで面白いと思うし、フェスを見てても演奏技術の卓越が必ずしも動員数、そして観客ウケに左右されるわけでもないし所詮僕らアマチュアがプロ並みの耳、視点から音楽を追求することもないので楽しませたもん勝ちかなぁとは考えてます。
 
まぁこんなもんかな。
下手にディスる前にもっと聴き込んでみようって話です。
僕自身あまり深くは聴けてはいませんが。
 
これで何かが変わるわけではないけどなんとなくどっかに吐き出したかったので書いた次第であります。
 
ブログタイトルはALのMt.ABURA BLUESからです。
でも書いてるときはandymoriのファンファーレと熱狂聴いてました。
 
以上です。